SeeStrasse228 Kusnacht

心は自然の一部。生命は自然そのもの。そして、いのちとは魂。

沈黙する神話 ~かみ・いのち・自然・生命~

われわれの神話は黙し、答えを与えない。聖書にも述べられている通り、罪は神話にあるのではなく、全くわれわれにある。われわれは神話を発展させることをせず、むしろ、そのような試みを抑制しようとしてきた。神話のもともとの話しは、それよりの出立と発展の可能性に満ちた多くの点を提供している。~神話の今後の発展は、聖霊が使徒たちの上に流れ入り、彼らも神の子となることによって始まるかも知れない。そして使徒たちのみならず、すべての他の人々も使徒を通じて、それに続き神の子としての格ーフィリアチオを受ける。かくして、彼らは土から生まれ出た動物より以上のものであり、再生したものとして、神性そのものに基礎をもっているという確かさを共にすることになる。目にみえる、身体的な彼らの生命はこの地上のものである。しかし、キリスト教の救済神話ののべるごとく、目に見えない内的な人間は、原初的な全体性のイメージ、永遠の父より来たり、それに帰ってゆくであろう。(ユング自伝より)

 

ブログタイトルの、SeeStrasse228 Kusnachtは、ユングの最後に暮らした土地です。

 このブログでは、様々な心理学と神話、また、文化人類学を中心に、

人間の原初の姿、いのちの真理に触れて行きたいと思います。

 VOCATUS ATQUE NON VOCATUS DEUS ADERIT

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~心は自然の一部。生命は自然そのもの。そして、いのちとは魂。~